第4話【立志編】 助けられないもどかしさ


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


右奥に写っているのは「日本サッカーの父」クラマーさん(縦縞のシャツ)と話すケーニッヒさん
右奥に写っているのは「日本サッカーの父」クラマーさん(縦縞のシャツ)と話すケーニッヒさん

ケーニッヒさん来日 その後家族も呼び寄せる


 ケーニッヒさん(写真下、94年の研修旅行にて)は、横浜にある東京横浜独逸学園のグラウンドを使って指導者講習会を実施することを計画していた。既に講習会の名簿には、「坂本」の名前が載せられていた。
 しかしそこから、考えもしなかった、驚くべき問題が勃発する。何と学校のグラウンドの使用許可が突如却下されてしまったのだ。ケーニッヒさんがドイツに居る間に校庭の使用許可をもらっていたにもかかわらず、本人がいざ日本へ着いた途端に発覚した新事実。
 代替地を探したが、そう簡単には見つからない。そしてケーニッヒさんが頼れるのは、94年の旅行へ参加していた日本人指導者たち。ということで、坂本も連絡を受けた。
 「日本サッカー協会で、どなたか話を聞いてもらえる人を知りませんか?チーム指導を任せてもらえそうなクラブなどを知りませんか?」という日本での指導者活動を始めるにあたって、助けを求める内容だった。
 坂本は指導者資格は持っていたものの、日本サッカー協会で知り合いと呼べる人の顔はまったく浮かばず、またケーニッヒさんをプロ指導者として受け入れてくれるクラブや団体も残念ながらまるっきり思いつかなかった。坂本は、自身が無力であることを知った。『サッカー界の知り合いがいない』ことをふとしたことから思い知った瞬間でもあった。
 『自分のドイツ留学を手伝ってもらえたのだから(まだ実行には移されていないものの)、何とかペーターを助けたい』と坂本は思っていたが、このときの坂本はケーニッヒさんの助けになる人脈をまったく持ち合わせていなかった。
 94年にドイツへ坂本と一緒に旅した人の中でサッカー界に人脈を持つ人が見つかり、ケーニッヒさんは彼の知り合いを当たっていった。町田で指導できることが決まったが、それ以外例えば独逸学園の校庭の代替地など、まったく目処が立たないままだった。
 坂本はケーニッヒさんの練習を見学するべく、町田へ市川へ、彼の行く先々どこへでもお供させてもらい付いて回った。
 最初は単身で日本へ来ていたケーニッヒさんもいつしか家族を呼び寄せ、奥さんと息子さんと3人で暮らしていた。

1994年の指導者研修でお世話になったケーニッヒさんだが、坂本は何も助けられなかった
1994年の指導者研修でお世話になったケーニッヒさんだが、坂本は何も助けられなかった

ケーニッヒさん ブランメル仙台へ


 町田での指導以外なかなか仕事が見つからなかったケーニッヒさんだが、やがてとあるチームのGKコーチの仕事を見つけ、さらにはブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)でGKコーチのポジションを獲得した。

 坂本は仙台へもケーニッヒさんを訪れ、練習を見学した。1996年、クラブにはドイツ代表で活躍したピエール・リトバルスキー選手や94年Jリーグ得点王のフランク・オルデーネヴィッツ選手も在籍していた。ケーニッヒさんはその後、スポーツディレクターへ就任した。

 

 日本へ来た当初は、着くや否や仕事場に考えていたグラウンドを失いかなり狼狽していたが、その後仙台でスポーツディレクターのポジションへ就くことが叶い、ケーニッヒさんは満面の笑みを浮かべていた。

 彼の息子、フローリアンも父親が働くブランメル仙台でプレーした。

 

 側からは日本での生活が順調に進み始めたように見えていてが、やがてケーニッヒさんは日本での2年間の生活に終止符を打ち、家族と共に母国ドイツへ戻った。


ケーニッヒさん ドイツへ帰国、 坂本は?


 しかしこれは坂本にとっては有難いことであり、チャンスが巡ってきてことを意味していた。

 

 そして折しもドイツ留学の資金を援助してくれる人も出現し、坂本のドイツへのサッカー留学はいきなり現実味を帯び始める。

 ドイツでの滞在ビザは語学習得が目的となるため、語学学校のゲーテ・インスティテュート ムルナウ校(バイエルン州南端)で受講予約を取り、勤めていた工業デザイン事務所を辞め(坂本は機械設計者として勤務)、ドイツへ向かう準備を進めた。

 

 サッカーを指導していたチームなどで複数回送別会を開いてもらい(写真下は、三鷹の小学生クラブ「FC北野」)、いよいよドイツへ飛び立つ日が近づいてきていた。

 

 ドイツでのサッカー留学の目的は、バイエルン州サッカー協会から指導者資格のB級ライセンス(現在のC級ライセンス)を取得すること。期間は1年。

 1998年6月、38歳の志士はいよいよ憧れの地へ!  つづく(次回より「風雲編」)


坂本が指導したクラブチームや会社のサッカー部で、送別会が開かれた。写真はFC北野の送別会
坂本が指導したクラブチームや会社のサッカー部で、送別会が開かれた。写真はFC北野の送別会