店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく
ドイツでの新生活がスタート
ドイツ人サッカー指導者のケーニッヒさん(写真の右)からの提案により、坂本はドイツにおける居をムルナウからペンツベルクへ移す決心をした。距離的には車で20分くらいの移動だった。ケーニッヒさんに車で迎えに来てもらい、荷物を車へ積み込んで移動し、ドイツで最初の引越しはいとも簡単に終わった。
移ったアパートは元々ケーニッヒさんのお母さんが住んでいた部屋で、リビングとキッチンが一つの部屋の中にあり、あとはトイレとお風呂があった。家具はすべて揃っていて、おそらく亡くなられたお母さんが使っていたものだった。ドイツ風な、あるいはバイエルン州の香りがする、暖かみのある家具ばかりだった。
語学学校はミュンヘンまで通い、ドイッチュコレーク へーベレという格安の授業料の学校へ入学した。サッカーの指導は隣村にあるTSVイッフェルドルフのU13(下の写真を参照)の監督をすることとなり、選手としては同クラブの32歳以上のチームと2軍チームでプレーすることとなった。
毎週木曜日の16時にはケーニッヒさんがアパートまで来てくれて、指導者資格B級ライセンス(現在のC級ライセンス)を取得するための授業を1時間行ってくれた。
恐怖の電話 震える手
これで、ドイツへ渡ったサッカー留学の環境がすべて揃った。家は見つかった。語学学校も(改めて)ミュンヘンへ通い始めた。そして、サッカーの指導現場も自転車で通える範囲である、隣村で確保できた。
ムルナウではゲーテインスティテュートという語学学校へ通うことは決まっていて、通学している間(4週間のコースを5回予約していた)は学校が用意してくれた部屋に住むことはできたが、サッカー関連は何も決まっていたわけではなく、また当てもあったわけではなかった。
1998年8月、まさにドイツでの生活が始まったことを実感した瞬間だった。しかしドイツで一人で暮らし始め、意外なところで坂本にとってはとても恐怖感を覚えることが一つあった。
それは、電話だった。日本には存在しない、いかにも欧米らしい、ドラマや映画で聞く受信音が鳴り、それ自体は心地よいものだったが、在宅中にリビングで電話が鳴り響く度、坂本は恐怖に怯えた。なぜなら坂本のドイツ語力はまだまだ、それに対応できるレベルには達していなかったからだった。
直接会話することと違い、会話する相手の表情が見えないことがこんなにも会話を難しくするものとは、日本に居たときには考えてもみないことだった。
電話の主は大抵はケーニッヒさんだったが時折サッカーの関係者(指導しているU13の保護者や32歳以上チームの監督さん)、そしてその他諸々。電話を自分からかけるときは、事前に文章を頭の中で作文しておけるが、相手からかかって来たときは、まったくの無防備な状態である。知らない単語のオンパレード、おそらく「バイリッシュ」という方言もドイツに来たばかりの日本人の耳を苦しめる要因となっていた。
謎の白い粉 薬物?+刺青
そして、引っ越したばかりの坂本を困らせることは、もう一つあった。
隣人の夫婦だった。週末になるとその夫婦は夕方から、テラスで飲んでいた。坂本がリビングでその音を聞きつけ、窓際まで行き『何だろう?』と思って外を覗いた瞬間、となりの旦那さんと目があってしまった。
マリオ「おい、こっちへ来いよ」
と閉まっている窓ガラス越しにマリオの声が坂本の耳へ届いた。『えっ?俺?』と思いながらテラスへ出ていくと、盛んに手招きをしながら
マリオ「来いよ。一緒にやろう。これ、飲むか?」
と強引に誘われた。
一度ビールをご馳走になったが最後、ハイディとマリオはほぼ毎週夕方になるとテラスで飲んでいた。酒盛りというほどうるさくはない。ただドイツ語の会話が聞こえてくるだけだった。寝たきりで車椅子に乗った、ハイディのお母さんの世話をしながらだったからかも知れない。
しかしそこに、もう一人の重要な登場人物が存在した。ハンスだ。毎週末ではないものの、ほぼ90%ハンスもテラス席で隣人二人と一緒に座っていた。
あるときキャラメルが入っているかと思えるような箱を取り出し、箱の角から中身を手の甲へ出し、その白い粉みたいものを鼻から吸っていた。良く見れば、その腕には刺青が『これでもか?』という勢いで描かれており、坂本は『その白い粉が何であるかは、聞くまでもない』と思って見ていた。やがてハンスが吸っていたかと思えば、今度はマリオがハンスからもらって吸い込んだ。
『なんて所へ引っ越して来てしまったのだろうか。隣人が薬物やってるよ』と考えていると、ハンスがこっちを向いてニヤッと笑いながらそのキャラメルの箱を坂本へも突き出した。
ハンス「健二、やるか?お前も」
坂本「いや、いいよ。俺は」
すると今度はマリオが
マリオ「健二、これは体にいいんだぞ。試してみな!疲れているときには、特にいい」
と勧めてきた。
『えっ?体にいい?体に悪いの間違いだろ?疲れているときにいいってことは、意識が飛んじゃって疲労感から解放されて気持ちいいってことか?』と坂本は思った。
それからしばらく「やってみな?」、「いや、結構!」の応酬がテラスで続けられた。 つづく
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