第7話【風雲編】入れ墨と白い粉、危ういチーム運営


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


坂本が所属する総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフのある、イッフェルドルフ村の航空写真。ここは坂本が住む町ペンツベルク市の隣にある村であり、坂本は自転車で約20分クラブまで通っている
坂本が所属する総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフのある、イッフェルドルフ村の航空写真。ここは坂本が住む町ペンツベルク市の隣にある村であり、坂本は自転車で約20分クラブまで通っている

入れ墨と白い粉


 ムルナウからペンツベルクへ移り住み、入ったアパートの隣人夫婦が毎週末にテラスで酒盛りをしている。そしてそこへほぼ毎週のように現れ、一緒に参加しているのがハンス。実は彼は隣人夫婦の奥さん、ハイディの元夫だった。
 さて、そのハンスがしきりに坂本へキャラメルの箱のようなものに入った白い粉を、鼻から吸うように強要している。坂本はかたくなに断り続ける。『ドイツへ来てすぐ、薬物をやるわけにはいかない!』、堅く心に誓った。結局その日は鼻から吸わされることはなく、無事自分の部屋へ戻ることに成功した。
 ハンスだけでなく、隣人夫婦の夫マリオも言っていた、
「これは体にいいんだ。疲れているときなんか、特にいいぞ」。
 後日判明したのは、その白い粉は大麻などの薬物ではなく、ブドウ糖であった。エネルギー補給として素早く体内に吸収され、ドイツでは一般的に販売されているものだった。スポーツの際や低血糖の人が使用しているもので、鼻から吸った方が確かに、素早く体内へ吸収されることもまた、紛れもない真実であった。「入れ墨の腕」と「白い粉」、このあまりにもマッチし過ぎる二つの要素から坂本の脳は要らぬ想像を掻き立てられてしまっていただけだった。
 それにしても元夫が毎週のように元妻の住むアパートの軒先へ現れ、現在の夫と一緒に酒を酌み交わすという感覚も、坂本には理解し難いものだった。改めて、『ドイツは日本と違うもんだ』と強く感じた出来事だった。
坂本(後列の左端)が指導するチームD-ユース(小学校5、6年生)。坂本と同じ身長(177 cm)くらいの選手も居るが、多くの選手は日本の小学校高学年と同じくらいの背の高さである
坂本(後列の左端)が指導するチームD-ユース(小学校5、6年生)。坂本と同じ身長(177 cm)くらいの選手も居るが、多くの選手は日本の小学校高学年と同じくらいの背の高さである

「指導者は喋ってなんぼ」言葉に詰まる坂本の行末やいかに?


 サッカー留学の肝心要なサッカーにおいても、坂本の身には大きな出来事が待ち受けていた。

 

 アパートを用意するなど、ドイツでの生活全般を助けてくれているケーニッヒさんは、アパートのあるペンツベルク市の隣村にある総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフでDユース、小学校5、6年生のチーム(上の写真を参照)の監督を坂本が務めることも手配してくれていた。

 

 しかしこれは、とてつもなく大変なことだった。練習を実行するだけでも、坂本の語学力では無理難題なシーンが続発し、正直選手たちから信頼を得られるのはとても難しい状況だった。

 

 練習などを始めるとき「Komm(コム)! Zusammen(ツザメン)!(Come! Togather!)」と叫んで選手たちを集めた後、その後の言葉がつながらない。仕方がないのでデモンストレーションを行い、選手たちに真似てもらうことで練習を開始した。どうしてこの練習をしなければならないのか?の説明を十分にすることもできなれければ、選手たちのプレーに対してタイミング良く褒めたり、プレーの修正を伝えることも適切な言葉(ドイツ語の単語)が見つからず、無言のまま放置するしかなく、指導者としてはもどかしい日々が続いた。言葉の壁とはまさにこれであり、選手たちへ伝えたいことはたくさんあるにもかかわらず、それをタイミングを逃さず適量渡すことはできず、練習一つとってもかなりの苦労を強いられた。

 

 最初の公式戦はホームで行われ、対戦相手はTSVベネディクトボイアン。試合は最初から最後まで相手のペースで進み、終わってみれば0対15。大差での敗戦となった。

 試合の途中で自チームのキャプテンの祖母がベンチへやってきて、坂本の顔の目の前へ顔を近づけて叫んだ。

 

「あんた、このチームの監督だろ?何か言って、選手たちを助けなさいよ。何やってんのよ。何も言わないなんて、あり得ないよ」。

 

 選手たちへ、チームへ掛ける言葉、ドイツでは一般的にどんな声掛けをするものなのか?を、このときの坂本は知らなかった。

 

 しかし、それよりもっと根深い問題は、坂本の引き受けた選手たちの実力はとても低いことだった。「それまで何も教わって来なかった」と言って差し支えないレベルだった。

 

 初戦をホームで大敗した試合を見た、ある選手のお父さんが帰り際に坂本へ言った。

 

「健二、やらなければならないこと、一杯あるな」

 

と。坂本はくちびるを平らに伸ばして、その言葉へうなずくしかなかった。『すべての要素において、練習をしなければならない。しかも、ほとんど最初の一歩から始めなければならない』と感じていた。

 

 しかし、試合の中から坂本が気付いたことはもう一つあった。それは、選手たちは最後まで闘ったことだった。15点取られたのだから、失点後のキックオフが15回あったわけだが、そのときの選手たちを思い起こすと、ゴールネットからボールを拾いセンタースポットまで運び、毎回『ようし、今度は俺たちが1点入れてやる!』という顔をして、ホイッスルを待っていた。彼らは最後まで、試合を投げなかったのだ。


言葉の問題 危ういチーム運営


坂本がD-ユース(U13、小学校5、6年生のチーム)の監督を務めることになった総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフのクラブハウス(日本から視察団が来たときの写真であり、本文とは関係ありません。)
坂本がD-ユース(U13、小学校5、6年生のチーム)の監督を務めることになった総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフのクラブハウス(日本から視察団が来たときの写真であり、本文とは関係ありません。)

 坂本はそれから、基本技術を身につける練習を心がけて、繰り返した。変な癖がついてしまっていることもあり、その絡んだ糸をほどいてからやっと新たな(本来の)スタートを切れることもあり、簡単ではなかった。

 

 そしてその繰り返しの中、坂本はあることに気付く。『なんでこの選手たちは、日本の子供たちのようにうまくならないのだろうか?』。練習を経て上達する度合いが、日本の子供たちと比較して驚くほど遅いことを感じた。それは「外国人監督が指導し、ドイツ語がおぼつかないから」がその理由ではなく、ドイツ人の一般的な特性であった。

 そしてその特性は同時に、こうも表現することができた。「一度習得した技術や戦術は、忘れない」と。

 

 例えば日本人の子供たちにまったく同じ練習を1週間後に行った場合、1週間前の練習開始直後の状態と同じ、ということがほとんどであり、練習効果が薄いということがある。ドイツの子供たちは、中々うまくならないが、着実に伸びることもまた事実だった。その原因は、「ドイツ人はいつも、自身で考えている」ことに起因すると感じていた。

 

 それからしばらくして、またホームの試合が行われた。週末に試合を控え、練習の最後に人数確認をしたものの、参加できる人数が確定しなかった。追って電話で確認するも、果たして試合当日11人に達するかどうか?その不安を拭きれないまま当日を迎えた。

 

 坂本の嫌な予感は的中した。集合時間に集まったのは何と6人。坂本は『どうする?どうする?』と、頭の中で自問自答を繰り返す。

 やがて集合時間に遅れて、一人の選手がやって来た。それでも、7人。選手たちはそれぞれ、確証のないことをつぶやいた。

 

「〇〇は、来るんじゃなかったっけ」

「△△は、何で居ないの?」

 

 選手たちと話している間に、相手チームの車が続々とクラブの駐車場へ入って来た。    つづく