店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく
ドイツ語の不自由な監督 知人が密談?
ある時坂本は所属するクラブTSVイッフェルドルフから近くのレストランへ、夕飯を食べるために立ち寄った。店内はドイツでスタンダードなカードゲーム「スカート」に興じる客で埋まっていて、カードを出す度テーブルを叩いて、みんがゲームに夢中だった。
そんな喧騒の中スカートもせず、真面目に話し込んでいる二人が坂本の目に飛び込んできた。クラブハウスの女主人の旦那ギュンターと、坂本のチーム(U13)のキャプテンのお父さんビンズィーだった。二人とも坂本が入ってきたことに気付いて一度目を合わせたがその後に続く「挨拶」はなかった。
ほとんど無視したような態度であり、何か様子がおかしい。いつもとは違って、どこかよそよそしい。しかも、真剣な顔つき!!
坂本は空いていた入り口近くのテーブルへ座り、まずビールを注文し、やがて食事を注文して一人で飲み食いしていた。二人のひそひそ話は、まだまだ続いている。
何か変な感じだったので、坂本は特別二人に挨拶もせず、食事を終えたところでレストランを後にした。
しばらくして、その密談の理由が意外な形で明らかとなった。何とビンズィー(上の写真、後列右から3人目、右から2人目が彼の息子)が、坂本のチームのコーチとなったのだ。
坂本は1998年6月にドイツへ渡り、9月からこのU13の監督を務めている。監督を任せてもらえたのは幸運だったが、まだまだ言葉を覚えなければ、現地のチームを指導することは難しかった。語学学校の先生からも言われていた、「君はまさか、君一人で練習や試合をやっているわけではないんだろ?」と。しかしながら、答えは「はい」だった。
そんな坂本の状況をクラブハウスの仕事を手伝いながらつぶさに見て知っていたギュンターが、『これじゃ、いかん。健二にチームのこと、全部は無理だ。誰かを手伝わせなければ』と考えたのだった。
ビンズィーが練習を手伝うようになり、選手たちが文句のオンパレードをすることも減り、練習が練習らしく緊張感をもって集中したものとなった。
試合においては、育成部長がアウェイの試合の際に車を出す親を確保してくれ、さらにビンズィーが同行することで、種々雑多な事務手続きから坂本は解放された。何しろ車の手配はすべて電話で行わなければならず、(ドイツ語での)電話の会話が苦手な坂本にとってはもっともやりたくない作業だった。
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