店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく
語学学校の先生がサッカー狂?
しかも文法指導の達人?
そして、二つ目は彼が文法を教える名人であったこと。2015年10月に坂本は日本へ帰国したが、その際に坂本はGoethe Institut(ドイツで最初に通った語学学校、ミュンヘンに本社がある)の試験を受けた。そしてその試験のための準備するクラスがあり、2度ほどミュンヘンまで通った。その際の講師が2回目の授業の最後に「もし皆さんが文法でお困りであったら、それに持ってこいの先生がミュンヘンに居ます」と言いながら黒板に書いた名前が
「Gerald Huschka(ゲラルト・フシュカ)」
だった。坂本はびっくりしたが、しかしながらその通りだとも思った。ドイツを去る前に、自分の幸運な人との出会いを確認した瞬間でもあった。
ちなみに坂本は「B2」という6段階あるうちの上から3番目の試験に見事合格した。
フシュカ先生は漫画を書くのが得意で、ややこしい文法をわかりやすくまとめたものを、いつも授業で配ってくれた。それは漫画を使って表現されていて、おもしろくおかしく勉強できるように工夫して作られていた。まさに最近TBSドラマ「ドラゴン桜」の桜木先生の台詞にもあった「楽しい努力」を誘発してもらえる資料だった。
6カ月の間語学学校の先生はずっとフシュカ先生だったと書いたが、それはつまり坂本が毎月の試験で十分な成績を残し、常に次の月に一つ上のクラスへ進級し続けたことを意味している。
そんな坂本が、授業中にこだわってやっていたことがある。それは文法を習った後、よく作文の課題が続いて出されたが、坂本は必ずジョークを交えた文章に仕上げ、ドイツ人の笑いのツボを探した(実情としては、フシュカ先生はドイツ人だが、他の生徒は皆外国人。もっとも坂本自身も外国人)。
例えば、嵐の後のような町の風景を渡され、この絵について説明する文章を作りなさいと設問されれば、「きっと今しがた、ゴジラがとてつもないスピードで走り去ったのだろう」という文章をまとめて、発表した。
他の生徒が普通に「台風が駆け抜けて行った後だろう」、「きっと竜巻が発生したのであろう」という文章ばかりの中、坂本の奇異な文章はクラスのみんなから好まれた。毎回毎回そんなおもしろい文章を作文することで、坂本は生徒全員と打ち解け、クラスの雰囲気もいつも楽しさに満ち溢れていた。
久々の90分の試合
さてドイツ語に関する坂本を囲む環境は、滞在した16年間常に変化し続け、総じて表現するならば「いつも待ったなし」の状態であった。詳しいことは追々、この物語の中で触れていくこととする。
ドイツでのこの頃(初年度?)の坂本の暮らしぶりとして触れなければならないのは、「サッカー留学」なのだから坂本自身がプレーするサッカーはどうしていたのだろう、ということだろう。
小学生チームの指導を監督として始めたクラブTSVイッフェルドルフにおいて、自身の選手生活も始めた。坂本は山雅SC以来、久しぶりの選手証を受け取った。38歳の坂本はO32チームの試合に出場していたが、往々にしてリザーブ・チームで人数が不足することがあり、時々応援要員として借り出された。
上の写真で緑のラインマーカーを引いた所でこの2軍チームの試合に先発フル出場していたことが、さらにピンク色のマーカーの所でチーム3点目を入れていたことがわかる。
この試合は坂本にとって、少し思い出深い試合となった。
日本人選手はみんなボランチ?
通常ドイツでは、同じ日に同じクラブ同士の1軍と2軍が続けて対決するように試合日が割り当てられる。
この上の写真の節であればいずれもTSVイッフェルドルフがホームで、DJKヴァルトラムの2軍が先に前座として試合を行い、その後1軍が試合を行う。ところがこのときは試合日直前に雨が続いたため、常識を覆し、芝の状態を考慮して1軍が先に試合を行った。
つまり坂本がプレーしたのは2軍チームの試合なので、2試合の後の方の試合であり、その日DJKヴァルトラムの1軍に3対0で勝利したTSVイッフェルドルフの1軍の選手たちは皆、シャワーを浴びるや否や勝利の美酒に酔い、各々が片手にビールグラスを持って2軍の試合を談笑しながら観ていた。
上の写真の資料では坂本の名前がメンバーの最後に記載されているが、決してFWとしてプレーしていたわけではない。事実は、紛れもなくボランチとして出場していた。
話は脱線するが、ほとんどの日本人がドイツのクラブに所属してサッカーをプレーすると、ほぼ全員に与えられるポジションが、このボランチである。
なぜそうなるのか?それは日本人が広い視野とバランス感覚に秀でているため、守備の場面において数的不利な状況であったにもかかわらず、いつのまにか数的同数、あるいは数的有利な状況に持ち込み、そしてボールを奪い、すぐさま的確な見方へパスをつなげる能力が高いからだ。
さて、話を試合へ戻そう。ボランチとして坂本はプレーしていたが、左サイドで始まった攻撃から突破する可能性を察知し、後方からペナルティエリアへと侵入した。左サイドでボールを持つ選手と目が合った。彼は左足を振り、ボールをゴール前へ送った。 つづく
コメントをお書きください