第12話【風雲編】ドイツでは、日本人選手は皆ボランチ?


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


新聞記事を新たにまとめた資料。1998年10月6日に行われた試合で、坂本が3点目をあげたことが記載されている
新聞記事を新たにまとめた資料。1998年10月6日に行われた試合で、坂本が3点目をあげたことが記載されている

ダイビングヘッド 鮮やかなゴール


 坂本は所属するTSVイッフェルドルフの2軍チームの試合に出場していた(上の資料を参照)。ホーム(TSVイッフェルドルフ)の1軍チームはピッチが試合前日までに降った雨の影響でゆるく、状態が良くないことから例外的に先に試合を行い、DJKヴァルトラムの1軍に対し3対0と快勝。シャワーを浴びた後勝利の美酒に酔い、みんなビールグラスを片手に2軍同士の試合を高台から観ていた。

 

 TSVイッフェルドルフの2軍チームが後半、左サイドを破りセンタリングに成功する。そのことを察知し、ボランチの位置からペナルティエリアまで侵入していた坂本へボールは渡る。ボールの高さは胸くらいで、坂本の走り込んだポジションより若干前だった。流れのままに、坂本はダイビングヘッドを試み、ヘディングしたボールは相手GKの右側を抜き、見事ゴールネットを揺らした。

 

 丁度TSVイッフェルドルフの1軍の選手たちが固まっているサイドにあるゴールでの得点。2軍の試合で、こんなにも盛り上がるか、というくらいホームチームを応援している観戦者から歓喜の声が上がった。

 試合自体は3対5で敗戦したものの、酔っ払いと化したホームの1軍選手たちが並ぶ土手へ、試合を終えた2軍チームが集結。1軍と2軍一緒に、みんなで雄叫びをあげた。

 

 ほとんどの試合でボランチとして起用された坂本だが、1シーズンこのTSVイッフェルドルフの2軍とO32の試合へ出場し、合わせて6得点を記録した。後から思えばこの日のゴールが、坂本がドイツで挙げたゴールの中で一番印象深いものであった。試合後監督からは「Du bist Kopfballmonster!(お前はヘディングの怪物だ!)」と坂本は言われた。

 

 このシーズン98/99の中で、TSVイッフェルドルフで300試合に出場したとして表彰される選手を、坂本は身近で目にする。1軍チームは10部リーグ(この地域では12部リーグまで存在)でプレーしており、決して高いレベルでの記録ではないが、間違いなく彼は村のヒーローであると坂本は感じた。

1994年に完成したミュンヘンのシュポルトシューレ・オーバーハッヒング。完成当時欧州一美しくて広大な敷地を有するスポーツ施設と評判をよんだ
1994年に完成したミュンヘンのシュポルトシューレ・オーバーハッヒング。完成当時欧州一美しくて広大な敷地を有するスポーツ施設と評判をよんだ

いよいよ?もう?渡独後5カ月で参加した第1回指導者講習会


 さて話を坂本自身のサッカーについてから、このドイツへのサッカー留学の1番の目玉である「指導者資格B級ライセンス(現在のC級)の取得」へ移そう。

 

 坂本が住むアパートを貸してくれているケーニッヒさんは、毎週木曜日16時にアパートまで通って来てくれ、指導者ライセンス取得のための準備の講義をしてくれている。
 そのケーニッヒさんがそろそろ良いのではないか?ということで、11月29日~12月4日の第1回目の講習会をバイエルン州サッカー協会へ連絡を取り、予約を入れてくれた。

 B級ライセンスの資格取得プロセスは、合格までに1週間の講習会へ3回の参加が必要で、3度目の講習会の後半が試験となる。3回の講習会へいつ参加するか?は、各参加者が自由に選択できるが、最初の講習会参加から最後の試験を伴った講習会まで、最長でも2年間のうちに終結させなければならない。
 2度目の講習会の際には審判試験があり、これも合格していないと最終的にB級ライセンスをもらうことはできない。
 参加者の条件としては、18歳以上であること、バイエルン州のいずれかのスポーツクラブのクラブ会員であること、そして外国人の場合ドイツ語の会話と読み書きが前提条件となっている。
シュポルトシューレ・オーバーハッヒングの体育館。体育館としてはかなり広く、さらにネットで仕切り3分割で使える
シュポルトシューレ・オーバーハッヒングの体育館。体育館としてはかなり広く、さらにネットで仕切り3分割で使える

初めての指導者講習会 リラックスし過ぎ?


 1998年6月に坂本はドイツへ渡り、7月から語学学校へ通い始め、9月からU13のチームの監督となっていた。そして今、11月下旬の指導者講習会への参加が決まった。
 坂本が渡された指導者ライセンスの手引きには、坂本が何度読み返してみても「ドイツ語の会話と読み書きが前提条件」と書かれていた。ドイツへ来て5カ月余りしか経っていない坂本にとって、バイエルン州サッカー協会が主催する指導者講習会へ参加するということは、かなりの緊張(プレッシャー)を伴っていた。果たして自分のドイツ語力で講習に付いていけるのか?不安ばかりが募った。
 一つだけ、その不安材料をかき消してくれる事柄があった。それは、指導者講習会が行われるシュポルトシューレ・オーバーハッヒング(上記2枚の写真を参照)には、ドイツに来てから知り合った知人が住んでいたことだった。
 その日本人の名前は、松本拓也さん(現在は大宮アルディージャのトップチームで、GKコーチとして活動中)。彼は柏レイソルユースを経て、ドイツではミュンヘンの強豪クラブSpVggウンターハッヒングの下部組織である、U19でプレーするエリートのGKだ。
 年齢は離れていたものの、坂本は松本さんと妙に気が合った。そして気さくな松本さんも「いつでも部屋へ遊びに来てください」と坂本へ言ってくれ、坂本はその言葉をそのまま鵜呑みにして、講習が終わり夕飯を食べた後は毎晩松本さんの部屋を訪れた。
 ドイツのゴールデンタイム、20時15分から始まる映画を彼の部屋のテレビで見せてもらい、また講習会半ばではスポーツウェアの洗濯までも彼の洗濯機でさせてもらい、坂本は初参加のドイツの指導者講習会で、毎晩非常にリラックスした時間を過ごせていた。

「俺はバイエルン人だ!」


 さて、そんなことよりも気になるのが講習会における肝心の講義と実技での様子、坂本のドイツへ来て5カ月ちょっとのドイツ語は果たして通じたのか?

 結果はNoだった。実技は他の参加者の真似をすれば何とかなるため問題はなかったが、講義はほとんど理解できなかった。

 

 毎週木曜日のケーニッヒさんの授業では問題がないものの、本物の講習会ではやはり坂本のドイツ語はまだ十分ではなかった。1回目の講習会では試験は一切ないため、坂本はただただ講習会のリズム(毎日、講義3回と実技2回)とその独特な雰囲気に慣れることにのみ重きを置くこととした。

 

 講習会の2日目の実技を終え人工芝のグラウンドから宿舎へ歩いて戻る途中、講師から「君は何かわからないことがあったら、すぐに自分へ聞くようにしなさい」と声をかけてもらった。

 というのもその実技の中で、おそらく講師は日本からも参加者が居ることを参加者全員に周知させたかっただけの質問だったが、坂本は意味を取り違えて大声で答えてしまった。

 

「俺は、バイエルン人だ」と。    つづく