第13話【風雲編】審判試験 ドイツ語の難しさとの格闘


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


ミュンヘンにあるシュポルトシューレ・オーバーハッヒングの芝生のグラウンドにおける整備作業。奥に見える建物が参加者の宿泊する部屋で、ベッド数は257。右に少しだけ写っている隣のグラウンドは人工芝
ミュンヘンにあるシュポルトシューレ・オーバーハッヒングの芝生のグラウンドにおける整備作業。奥に見える建物が参加者の宿泊する部屋で、ベッド数は257。右に少しだけ写っている隣のグラウンドは人工芝

「俺は、バイエルン人だ」


 坂本が渡独後わずか5カ月で参加したバイエルン州サッカー協会主催のB級指導者講習会。1週間シュポルトシューレ・オーバーハッヒングに宿泊しながらの第1回の講習で、実技はなんとかなるものの、講義では言葉がバイリッシュ(バイエルン州の方言)なのも手伝って、ちんぷんかんぷん。

 

 そんな中、坂本のクラス(総勢約30人)の講師が気を使って、実技の際に坂本へ振ってくれた。

 

講師「君は何人ですか?」

 

 坂本は突然の質問に狼狽し、意味を取り違えて大声で答えてしまった。

 

坂本「Ich bin ein Bayer.(俺は、バイエルン人だ)」

 

 ほんの少しだが間を置いて、参加者たちがどっと笑った。坂本としては、まったくまじめに答えたつもりだったのだが、そうなってしまってはもう放っておくしかなかった。

 

 坂本が習ったドイツ語では通常、「君はどこから来たの?(Wo kommst du her?)」と聞いてくると、「僕は日本/東京から来ました(Ich komme aus Japan/Tokio.)」と答えることになっていたのだが、何人?と設問され、『俺は日本人だけど、今はもうバイエルン州に住んでいるんだから、バイエルン人だろう』と思い、とっさにそう答えてしまったのだった。

 

 さて、B級ライセンス合格までは1週間の講習会を3回受けるわけだが、1回目の講習会には試験は一切ない。それはつまり、ドイツ語が理解できようとできまいと、1週間そこに居さえすれば、それで済んでしまうということであり、ドイツで知り合った松本拓也さんの部屋へ夕食後は毎日のように入り浸り、ドイツで初めての講習会参加は、思いの外リラックスして全行程を終えた。

シュポルトシューレ・オーバーハッヒングの第1体育館は60 m x 40 mと、体育館としては結構大きい。ネットで仕切ることができ、3分割で使用することが可能。ちなみに写真には写っていないが、この右側に第2体育館があり、大きさは45 m x 27 m
シュポルトシューレ・オーバーハッヒングの第1体育館は60 m x 40 mと、体育館としては結構大きい。ネットで仕切ることができ、3分割で使用することが可能。ちなみに写真には写っていないが、この右側に第2体育館があり、大きさは45 m x 27 m

ケーニッヒさんがインストラクター?


 そして講習会の第2回(1999年3月14日~19日に受講)、早くもサプライズが起きた。それはなんと、毎週木曜日に坂本のアパートへ1時間の講義に来てくれていたケーニッヒさんが、バイエルン州の講習会の講師となったことだった。いつも自分の部屋で話す相手が、シュポルトシューレの会議室の壇上に立っているというのは、坂本にとってはなんとも不思議な光景だった。

 

 そしてサプライズの二つ目は、講師のケーニッヒさんの話す言葉を理解できなかったこと。質疑応答があれば、それはなおさら強まった。参加者の質問の内容も理解できなければ、講師のケーニッヒさんが答えている内容もほとんどわからなかった。

 

 その原因は、方言だった。木曜日にケーニッヒさんが坂本の部屋を尋ねて授業をしてくれているときは、バイリッシュではなく、高地ドイツ語と言われる、いわゆる「標準語」で話してくれていたことがわかった瞬間でもあった。

 

 それにしても講習会の第2回に参加し、もう既に講習会参加の経験があり、さらにドイツでの滞在時間も長くなっていて、今度はある程度講習会の中身を理解できるだろうと思っていた坂本の夢と希望は、思わぬ所、「方言」で見事に打ち砕かれることとなった。それも、普段いろいろとサポートしてくれているケーニッヒさんによって。講習会参加前には、坂本が考えもしなかったことだった。

 

 そして、サプライズの三つ目。この講習会の第2回には、初日にルール関する審判の試験があったのだが、40点満点で30点が合格ラインのところ、坂本はなんと20点で不合格となってしまった。次の第3回の講習会の最初に追試を行うこととなった。

 ルール自体を坂本は十分に理解しているものの、ドイツ語の否定文の作り方に惑わされた。nicht(英語のnot)を使ったものはまだ良かったが、kein(英語のno)を使われると非常に紛らわしく、思いの外苦戦した。

シュポルトシューレのレストランは250席もあり、広々としている。セルフサービスで食事と飲み物を取り、団体ごとに決められたテーブルで食事をする。奥にはテレビもあり、夜はビールを飲みながら試合を観戦することも可能
シュポルトシューレのレストランは250席もあり、広々としている。セルフサービスで食事と飲み物を取り、団体ごとに決められたテーブルで食事をする。奥にはテレビもあり、夜はビールを飲みながら試合を観戦することも可能

ドイツ語の文法 いやらしい!?


 簡単な例えとしては、

 

「Ich habe kein Geld.(英語ではI have no money.)」、「私はお金を持っていません」が否定文。

 

しかしこの「kein(英語のno)」の「k」がないだけで「Ich habe ein Geld.(英語ではI have a money.)」となり、「私はお金を持っている」の肯定文になってしまうからだった。

 

 英語の場合は「no」と「a」の違いがあるものの、ドイツ語では「k」が付くか?付かないか?だけの違いだった。

 

 日本でも3級まで審判資格を持っていた坂本は、日本における試験でも文章にはひっかけが用意されていて、設問の文章の間違った理解の上の判断からは、当然真逆の回答しか導き出されず、何度も苦汁をなめる経験をしていた。

 ドイツにおけるルールの出題も、日本と変わらなかった。明らかに引っ掛けようとしている文章が多く存在した。本末転倒のように感じたが、何れにせよ坂本は1999年5月16日~21日の第3回の講習会まで、審判問題についても引き続き勉強を続けなければならなかった。

 

 そして、いよいよ2度目の審判試験の日、第3回講習会初日がやってきた。      つづく