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プロになった選手たちの特徴 その2「レアート・パカラーダ」

©️FC St. Pauli

 かつての教え子Leart Paqarada(レアート・パカラーダ、26歳)は、今シーズンブンデスリーガ2部のFC St. Pauliでプロとして8シーズン目を迎え、現在もドイツのトップレベルで活躍しています。今季は6シーズン過ごしたSV Sandhausen(ブンデスリーガ2部)を離れ、新天地での活躍が期待されています。シーズン開幕から9節を経過した時点で、これまで4試合に先発出場と1試合の途中出場を果たしています。左利きの彼は、ポジションは左SB、あるいは左MFとして起用されています。

 

 レアートを指導したのはシーズン2001/02、SV Werder Bremen U9のチームで、自分はその育成チームの監督でした。U9はFユース(F-Jugend)の1軍で、ブレーメン地域におけるエリートが集められていました(例外として、一人の選手だけ90 km離れた町から通っていました)。11人(Fユースは7人制)居た選手のうちレアートだけが1年飛び級していて、他の選手より若かったのを覚えています。

 その後彼は、U15(C-Jugend)になるときにSV Werder Bremenでは道が閉ざされてしまい、父親(元プロサッカー選手)のコネクションの関係からBayer 04 Leverkusenへ移籍したと聞いています。

 

 というわけで彼は、ユース時代をSV Werder BremenとBayer 04 Leverkusenで過ごし、成人チームではそのままBayer 04 Leverkusen Ⅱ(リザーブチーム)へ進み4部リーグでプレーしました。

 ただし、数年後Bayer 04 Leverkusenがリザーブチームのリーグ登録を解消したため、シーズン2014/15からSV Sandhausenへ移り、ついにブンデスリーガ2部のクラブでプレーするようになりました。

 国籍をドイツとコソボの両方で持っていた彼は、U16〜U17ドイツ代表にも選ばれ、合わせて13試合に出場。その後コソボA代表となってからは、これまで20試合に出場して1得点を記録しています。


オランダの駐屯地での大会へ参加


 レアートで思い出すのは、何と言ってもSC Feyenoordとの決勝戦での出来事です。この試合は、12チーム集まった割と大きな大会で、北ドイツにあるオランダの駐屯地で開催されました。

 試合会場は駐屯地の中にあり、駐屯地の入り口で行われた検問ではライフル銃を持った兵士から、入場するためのチェックを受けました。選手も保護者も一旦全員が車から降り、車のドアはすべて開け放たれ、トランクの中身まで検査されました。長年指導者をしていますが、このときのことは後にも先にも同様な経験はなく、とても変わった体験でした。

 

 参加12チームは6チームずつ二つのグループに分けられ、決勝で当たったSC Feyenoordはグループ1へ、我々SV Werder Bremenはグループ2へ振り分けられ、まずは予選ラウンド(総当たり戦、試合時間12分1本)を戦いました。グループ1の中にはほかに、ブンデスリーガ2部のFC St. Pauliも参戦していました。

 予選ラウンドの結果は、グループ1で1位となったのはSC Feyenoordで、5-0、4-0、7-0、4-0-、4-0と、破竹の勢いで5戦全勝(勝ち点15、得失点差+24)の成績でした。

 グループ2では、SV Werder Bremenが2-0、7-0、9-0、6-0-、4-0のこれまた失点なしの5戦全勝(勝ち点15、得失点差+28)で、無事に1位でグループリーグを抜けました。

 

 準決勝はグループ1の1位がグループ2の2位(Vogido Eschede)と、グループ2の1位がグループ1の2位(NSV de Griffioen 1、主催者クラブ)と対戦し、SC FeyenoordとSV Werder Bremenがそれぞれ勝利を収め、決勝へと駒を進めました。


決勝の相手は、SC Feyenoord!


 決勝戦が始まる直前に、応援に来ていた保護者から重要な情報がもたらされました。「健二、相手のセンターフォワードには、十分注意した方がいい。チームの中で、得点のほとんどを彼が挙げていた」とGKニクラスのお父さんが耳打ちしてくれました。

 聞くと、グループ1とグループ2が違うフィールドに分かれ同時進行で予選ラウンドの試合が進行する中、彼は足繁く違うフィールドへも足を運び、決勝に勝ち上がってきた相手、SC Feyenoordの試合を観察してくれていたそうです。

 

 決勝が、始まりました。最初から試合のリズムを握ったSC Feyenoordは、センターフォワードにボールを集め、何本もシュートまで持ち込みます。

 有難いことにシュートされたボールは、ことごとくバーの上を超えていきました。しかし、このままだと、いつかはゴール枠を捉えられる。もちろん我々のGKニクラスであれば、そう簡単にゴールを割らせることはないものの、気になることがありました。

 それは、我々のNo. 1ディフェンダーであるCBマルクスが相手CFにワンタッチで抜かれ、ツータッチ目でシュートを打たれていることでした。そしてこれば、決してマルクスのプレーがいつもより悪いわけではなく、この相手CFの才能が単に上回っているということでした。

 これはもう『二人で守るしかない!』と考え、即座に左SBのエニスをセンターのポジションへ変え、相手CFへマンツーマンで付かせ、CBマルクスをスイーパーに下げました。下げたと言っても、中央にエニスとマルクスが近くで一緒に立つように変更しました。

 そして、エニスが居なくなって空いた左SBのポジションへ、左FWのレアートを下げました(7人制のサッカーにおいて高いレベルでは、プレーシステムは3:3となります。町クラブでは3列に配置して、スイーパーを置いているチームも良く見かけられます)。

 

 つまり、元々3:3だったプレーシステムを、このポジションチェンジにより、4:2へと変えました。

 相手CFがチームの得点源であることを考えると、もしマルクスとエニスで封じ込めることができたならば、少なくとも0-0で試合を終わらせることができる。そして5分の延長戦を経てPK合戦へ突入すると、機敏に反応しセービングできる、GKニクラスを擁する我々の方が有利かも知れないと考えました(相手GKの力量は、12分間我々がほとんど押されていたため、確認できていませんでしたが)。


勝負勘に年齢は関係ない!?


 このとき、このプレーシステムとポジションの変更をするに当たり、一番危惧されたのはFWのポジションからDFのポジションへ変えられたレアートが、この変更に不満を示すことでした。そして、もっと指導者として心配していたのは、レアートのお父さんからも執拗な抗議を受けることでした。

 冒頭にも書きましたが、レアートのお父さんは元プロ選手であり、確かコソボの代表GKだったと記憶しています。

 この大会の前にも既に、何度かレアートには左SBでプレーしてもらいました。彼のポジションを下げる度に、レアートはポジションを後ろへ変えるけれども、後ろへ走りながら私(監督)を見て「どうして僕が後ろなの!」と叫びました。そして、それに答えていると、いつの間にかレアートのお父さんが自分の脇に立っていて、「健二、どうして俺の息子を後ろでプレーさせるんだ?俺の息子は FWタイプだ!」と彼の主張をぶつけてきました。

 この決勝戦においても、レアートを左FWで先発させたものの、チーム事情として後ろのポジションをプレーできる選手が急きょ必要となり、その条件に合致するのがレアートでした。

 

 さて、失点を喫しないために行った対策、後ろを4人にし、前を二人だけに変更する。その変更にともなって、FWのレアートはディフェンダーへ下げられてしまった。

 

 左サイドに居たFWのレアートは、何も言わずに、そして私へ反抗の目を向けることもなく、スッと後ろへポジションを変えました(さらには、いつもは監督の判断に異議を唱えに来る大きな男性、レアートのお父さんも私の所へは現れませんでした)。

 このときは、ただただ不思議に感じていました。あれだけポジション変更を嫌がっていた親子が、何もしなかったことを。しかし、大会を終えてから思い直しました。

 

 レアートはきっと『ここが勝負どころだ。俺が下がらなきゃ、いつか失点する。失点したら、この試合、俺たちは勝てないかも知れない』と感じたのだと思います。

 しかし皆さん、レアートはこのときまだ7歳です(チームの他のメンバーは、8歳〜9歳)。そんな若さでも、サッカーの試合における勝負を分ける分岐点をわきまえていて、チームの勝利のためにポジションチェンジを受け入れる理解力を持ち合わせている。変更された、与えられた役割を最後まで全うし、チームの勝利のために貢献しようとする心を持っていたことに気付き、感心するとともにとても驚きました。


勝負は意外な結末に


 さて決勝の試合、その後の行方は、誰もが想像しなかった結果へと辿り着きます。ずっと押されていて、相手FWにボールが渡る度にシュートまで持ち込まれていたSV Werder Bremen。プレーシステムの変更とポジションチェンジを経て、相手FWにシュートを易々と打たせることはなくなりました。私の考えた通りのプレーをCBエニスとSWマルクス、さらにはGKニクラスはフィールド上で表現してくれました。

 ワンタッチで相手DF(つまり、マルクス)を外していたSC FeyenoordのFWでしたが、仮にマークに付いているエニスを外すことをできても、すぐにマルクスも加わり1対2となるため抜け出せず、シュートを打てなくなりました。それでも何とかシュートを打てたとしても、きちんと足に当てることはできず、そんな難しくないシュートされたボールをこぼすことなどないGKニクラスは、どれも簡単に処理しました。

 

 さて問題は、攻撃です。左FWのレアートを取ったわけですから3人が2人となり、しかしながら相手ディフェンダーは3人です。物理的に多勢に無勢。シュートまで持ち込むのは困難、な(状況の)はずでした。

 レアートが居なくなった我がSV Werder Bremenの攻撃陣は、マーヴィンとトムの二人。人数が足りず、何もできないと思いきや、相手DF3人を相手に大奮闘。右サイドを二人のパス交換で進み、最後はマーヴィンがドリブル突破を仕掛け、ついには相手GKと1対1へ。

 オーソドックスにファーポストを狙うかと思われたが、意表を突いたニアポストへのシュート。おそらくGKとポストの間は50 cmくらいしか空いてなかったと思われるが、マーヴィンはその隙間へボールを通し、先制点を叩き込む!

 相手チームの黒人監督が飛び跳ねて、失点したことを怒っていたのが、今でも目に焼き付いています。

 得点から数分後、試合終了の笛が鳴り、結果は1-0の勝利。我々SV Werder Bremenが優勝を果たしました。無傷(無敗)、無失点での優勝でした。

 

 ということで、レアートのエピソードでしたが、このことを考えるときいつも思うのは、やはりプロ選手になれるのは、勝負どころの所作をわきまえている人間が到達するものだということです。そして、そのことに年齢は関係なく、その才能は若くしてもう既に備わっているものだと、つくづく感じます。

 

 

追伸

 書いていて思い出しましたが、会場からの帰り道、私はある選手のお母さんの車に乗せてもらいました。その車中で話していた中で、突然彼女から言われた言葉、「健二、うちの息子は今、あなたから「闘うこと」を教わっているのよ」と。意外な視点からの言葉でしたが、有難く、とても嬉しく感じた言葉でした。